従って木挽の初まりは奈良朝時代からである。此の頃、外国に於ては鋸が発達するとともに人力に代って水力をもって鋸を動かすことが工夫され、13世紀頃から14世紀にかけヨーロッパ諸国に於て機械挽製材所が設立されるに至った。これが手挽から機械挽製材の初まりであるが此の頃、我が国に於ては木挽職人による手挽が行なわれて居った。

 我が国に於ける手挽から機械挽製材の初まりは幕末の頃、ヨーロッパの軍事技術の導入とともに造兵機械の一種として木を挽く機械が輸入された事は事実であるが、是れはあくまでも造兵機械として輸入されたものであり民間に於ては依然として手挽が行なわれて居った。其後、幕末から明治維新の改革と人口の急速な増加につれて木材の消費量も又、急増するに至り、この需要を満たすために木材商人は愈々、多くの木挽職人を必要とするに至ったが木挽職人が多くなるにつれ木挽の賃金の値上りや値上げの要求とかで木挽と雇主との間に絶えず紛争が起きるに至った。

  木挽と雇主との争議や木挽職人の怠惰や賃上げの要求が盛んになるにつれ雇主はついに挽材機の買入れを計り、明治5年横浜のある外国商館から円鋸機を買入れる事に成功し、これを木挽小屋の片隅に据えつけ、水車によって円鋸を回転し木挽がその自動する鋸の刃に材木をあてがって挽き割り鋸の目立も木挽が行うと言う極わめて幼稚なるものであった。これが吾が国に於ける円鋸機の最初の登場である。その後の明治8年に静岡の浜名郡河諭村字弥助新田に産業社と称し円鋸2台と動力は火力による製材工場が設立された。これが吾が国に於ける機械挽製材工場の●矢である。