然しながら、明治15年頃より松方デフレの影響を受けて、木材も米も下向の傾向となり同16年から17年には篇柏は2円20銭に松は2円10銭と半値以下に暴落した。木材の暴落に拍車をかけたものは生産増加であった。西南戦役前後から各地の生産が増加し当時、東京市場は維新以来の大量の入荷であった。 かかる折、明治19年4月から全国各地にコレラが蔓延し、人心は極度の不安にかられ建築など顧みるものもなく木材業の営業も開店休業の様な情態となり中には倒産する業者すら少なくはなかった。デフレ政策を実施して以来、此の4年有余の期間は明治時代に於ける木材業者の最も苦難の時代であった。

2.日清戦争と木材業

こうした苦況の中に明治27年ついに日清戦争が勃発、戦勝の結果吾が国は遼島半島と台湾を賠償として日本の領土に割譲される馬関条約を締結したが遼島半島は露、仏、独の三国干渉により止むなく返還するに至った。此の日清戦争により木材業も漸く消光をとりもどすに至り弾薬箱を中心とする箱類や松材は特に値上りを見るに至り、戦役前年の26年には松尺角2間物1本1円93銭が同27年には2円10銭に同28年には2円50銭と漸次値上りし戦勝の翌年には好況とともに3円18銭同30年には3円49銭と上昇した。尚、杉の2間の組材は戦争前の26年は2円07銭同27年2円30銭、同28年2円75銭、同29年3円57銭、同30年4円04銭と戦勝後はいずれも大巾な値上りを見るに至った。この値上りを西南戦争後と比較し