安政元年 1954 和歌山に大地震発生、傅法橋下に舟50余艘集められ、北島磧数十間の脇にかかっていた400石積の船、砂上に運ばる。当時木材業を開業せんとする者は藩の認可を必要とし、当和歌山藩に於ては西御番所に於て認可を受けた。一方紀の川を下る筏は口役を称し見取税が課せられ、岩出口に見取検分所あり。
安政2年 1855 和歌山に大火あり、御坊門前筋、北町十方院丁に延焼、家屋68軒焼失す。
慶応3年 1867 討幕の密勅、将軍慶喜政権返上奏請。
明治元年 1868 江戸城明渡し、東京遷都維新の改革なり、諸制度の改革とともに木材業の認可制度が撤廃され職業の自由を得、木材業を開業せんとする気運高まる。
明治2年 1869 版籍奉還、紀州藩では第14代茂承仮に藩知事となる。この年吉野の木材業者紀の川岩出口見取税の廃止を奈良県庁へ歎願す。
明治4年 1871 廃藩置県、和歌山藩を和歌山県とし、初代和歌山県知事(当時権令という)に津田正臣官選さる。此の年先に歎願した紀の川岩出口見取税が撤廃されると共に吉野材の流下が盛んとなり、一方和歌山に於ては吉野材の問屋や仲買商が増加す。
此の頃吉野材木会所が久保町3丁目に建設さる。
明治5年 1872 大蔵省布達をもって官林払下げを発令、此の年国立銀行条令を発令、銀行設立の気運高まる。