杉の4分板(厚さ2分3厘板)の尺物と同柾板が多く、4分板の上等品と柾板の8寸上は天井板に柾の5寸6寸巾のものは建具の腰板に使用され、徳島からは那賀川方面より杉3分板が大量に機帆船で入荷、腰板や外帳用として使用された。  次に九州産の板類は家具や張板用として、樅正6分板の尺3寸物と栂の正7分板は2階板として又、タンス用としては樅正6枚板が多く入荷した。高知より入荷するものに樅の2分3厘の柾板が多く、天井板に、小巾板は建具用として大いに歓迎された。続いて大阪より入荷した板は、米杉の柾板が主で8寸上は天井板に、狭物は建具用に使用され、この外大阪、名古屋方面からベニヤ3ミリ、3ミリ半の板が入荷を見ている。尚、熊野新宮方面より移入した板は杉4分板厚さ2分2厘ものが大量に入荷し、尺巾の上等品は天井板に、その他並物は側張、腰板、野地板等大いに利用された。  以上の板類のうち、秋田板は品質も良く、殆んどが巾尺ものであったので一般に歓迎され撰別も非常に厳正で、等級に赤1等無節、赤変色無節、同じく赤1上小、赤変ム、赤1小、赤徳用(1ツ節)赤1、2、3並又同じく耳白1ムから3並迄に仕分けされていた。これら赤2、3並板は当時駿河屋の洋かん箱用として利用され売れ足が盛んであった。  当時の主な販売先は市内の屋形屋、建具屋、大工や木工所その他紀の川筋の高野口から橋本、野上、海南、箕島、由良、御坊、田辺、遠くは淡路島方面の製材所や建築商に販売された。主な販売先は以上の如くであるが、大正から昭和の初期にかけて斯くの如く大量の板類の入荷を見る他、市内工場では米杉や北洋材の板が盛んに生産された。