次ぎに仲買商では近林、近安、中長、南部、中熊商店、川中組などが有位を誇った。取引方法は明治時代と同様で変化は見られないが筏問屋は仲買商は大きく移り変わった。

問屋と仲買商の変遷

 筏問屋では、明治初年に開業した滝野は明治末期から大正期にかけて遂年取扱量も減少し、同中期には遂に廃業するに至り、続いて時を同じくして、五味も滝野の後を追うが如く休業し、新しく上西竜之助が開業したが、その取扱量は北村や桝屋の比ではなく、ごく少量であったがこの上西も開業後いくばくもなくして、大和の本家の休業により転業するに至った。滝野、五味これに続く上西らの閉鎖により当時これらの問屋を中心に取引をしていた仲買商は、吉野材の入手に困り仲買商の規約(荷主との直接取引の禁止)を無視して、大和の野原に出かけ、同地の大手業者宮崎某なるものと直接取引を行なう仲買が見え初めその後相次いで斯様な業者が増加すると共に価格はも とより市場は混乱し、

木材商