素材の入荷情況

(1)北洋材の初移入

大正8年6月北洋材の第1船、呉山丸(4,200トン)が樺太材、凡そ6,000石を満載して下津港に入港した。これが本県に於ける北洋材の移入の初まりである。当時、和歌山港には大型船舶が入港不能のため総べて下津港に入港し同港で荷役、和歌山市に廻行された。続いて翌9年北洋材の第2船海久丸(7,000トン)が同じく樺太材20,000石を積んで下津港に入港す。これらの樺太材はいずれも大重商店(故中西進重郎氏)の移入によるものにして同氏は本県並びに本市に於ける北洋材移入の先駆者である。大重商店に続いて大正から昭和年間に本市に北洋材を主に輸移入した業者には三井物産、日露木材、三菱商事、内外汽船、増田商店材佐商店等がある。主な荷受問屋には大重商店、中長商店、北村林業、その他池幸商店、浦島商店などがあり、中でも大重商店、中長商店はその取扱量は最高であったが、北洋材の入荷が減少するのにつれてこれらの荷受問屋はそれぞれ内地山林の経営や伐出販売の事業等に転出した。

  北洋材の本市への輸移入の最盛期は、昭和8、9年頃で当時、年間1,500,000石から1,600,000石の大量の入荷を見ると共に本市は東京、清水、名古屋、大阪とならび北洋材の5大市場とうたわれるに至った。此の頃本市は製函業が盛んであったから此の北洋材を原料に製函業は特に盛んになると共に