筏乗人夫の装束

此の当時の筏乗人夫の服装は一切角袖のものを着用し下には白のシャツ上着は表は紺にして裏薄色の木綿(夏季は一重の紺シャツ)下は薄色の半股引(バッチ)に紺の一重脚袢(大津脚袢とも言う)を用ふ。中には紺の二重の甲馳股引(コハゼバッチ)を着するものもあり、これに紺の小倉の帯をしめて紺木綿の腹当(ハラアテ)を用い此の裏に物入れを設け之れに筏に用いる楔などを入れた。

  又辨当入れは回物を用(メンツとも言う)チガイと唱えて並木綿4尺5寸を以て捻じ縫い仕立たる物、之にメンツを容れ腰に結びたり。又筏乗夫はいずれも乗りヨキと称する斧(目方1貫5,600目)を着用した。此の斧は筏を修理するに着用したものであるが此の斧を誤って水中に落しても白光を有したるため拾い揚げるに便なりと伝えられている。

和歌山港より大阪への廻材方法

  和歌山港より大阪吉野問屋へ廻材する時は検査員は問屋の届により現場に出張し該木材に廻材の証たる(吉野会所検)の極印を打ち而して台帳を更正す。又問屋は送り状を作り其船夫へ渡し又船夫は順番の船を用意し之に木材を積む。此の船積み作業は船床になるべく丈け短き物を積み丈け長き物又は、大なる物は上に積む。此船に水上より揚げるには帆柱の最上に車を附し之に大綱を吊し此端にて木材を括り又、一方の端に帆柱の根際に轆●を建て之れに巻き付け洩揚ぐる。最も小なるものは鳶口を以て洩揚げ積む。而して船夫は良き風波を見計らい出帆し大阪港木津川口3軒家に着き直ちに荷を下し仲士頭へ引渡し其送状の裏に