和歌山木場立木材商組合の設立

 (明治23年5月組合の●矢)

 維新の改革によって問屋や仲買商の認可制度が撤廃され職業の自由を得ると共に本市では木材業を営まんとするものが相次いで増加を見るに至った。ここに於て商取引の円滑と営業上の秩序を維持するため仲買人の間に於て組合設立の気運が高まるに至った。

 此の頃、一方吉野に於てはすでに吉野材木組合が設立されて居り、其の主なるものに川上、小川、中荘、西奥及び黒滝などの組合があった。中でも本市流下材の大半をしめた川上、小川、中荘の3郷組合は連合会を組織して吉野川上流区域に属する林業区域や流下材等についての規約を制定した。こうした事が本市の組合設立の気運を愈々高めるところとなり、時の有志橘吉右衛門等他数名が、よって協議の結果ついに明治23年5月和歌山木場立木材商組合を設立し、初代組合長に橘吉右衛門が就任した。これが本市に於ける組合設立の初まりである。尚此の前年の22年に紀の川の大洪水があり流材による業界の被害が実に甚大であった。この事が組合設立を一歩早めたものとも言える。(本稿の祥細は後記貯木場の項に掲載)