(五)移入量と移出量

(1)移入量

明治時代に於ける年代別による入荷量を知る資料はつまびらかでないが、年間平均50万石から60万石。最盛期の明治中期以降は7~80万石からの入荷を見ている。此の内約8割までは吉野材で吉野材の他日高、新宮より黒木類を、秋田方面より大阪を経由して板類が僅かながら入荷している。下記の表は明治40年に於ける吉野材その他の入荷量である。 hyo

 右合計 丸太及角材247,108尺メ、板類19,200坪、辨甲材500本、総金額1,253,548円60銭也となっている。

 吉野材のうち最高は川上郷にして次は小川郷、西奥黒滝、中荘郷の順になっている。次の表は吉野材木組合和歌山出張所の資料による明治38年から同40年9月迄の吉野材の移入量である。