又、株の譲渡は、実子、養子、親類、番頭などの暖簾分けに類するもの以外は認められなかった。 尚貸株は全面的に禁止せられ貸株には厳罰が適用されていた。 表 

問屋と仲買の開業

 斯くの如く藩政当時の木材業の開業は極めて厳重であったが、維新の改革によって職業の自由を得ると共にこうした制度が撤廃されたが、改革直後は未だ封建制度の色彩が濃く、問屋と仲買業の階級制度は依然として厳立し各々問屋組合や仲買組合を設けて規約を判定し問屋を開業せんとする者は入会金として一時に金1,200円を出し荷主及び仲買人の承認を必要とした。当時すでに吉野には吉野材木問屋組合が設立されていた。一方仲買商を開業せんとする者は金50円也の信認金を出す他に250円の加入金を出し、保証人1人を立て、其の旨問屋へ通知し問屋の承諾を得なければ仲買商たるを得なかった。斯様にして明治時代に於ける問屋や仲買商の開業の認可制度は撤廃されたとは言え開業は極めて困難であった。当時本市に於て問屋及び仲買商を開業せる者次の如し。

(二)問屋業並仲買商

(1)問屋業

以上の4名にして問屋は荷主より一定の口銭を得て仲買人に売払い仲買と荷主間に於ける取引上の計算や其の他一切の業務を代行す。

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