維新の改革と業界の動向

1.維新の改革

徳川幕府300年の泰平の夢破れ政権が明治の新政府に移ると共に版籍奉還、廃藩置県、地祖改正、身分制度の改廃、職業の自由など一切の封建制度が撤廃され吾が国は近代国家への諸改革を断行した。 此の間に於て当紀州藩(当時の藩主第14代茂承)では明治元年4月諸般国政を改革して一新の基本を立つべしの朝令により紀藩では津田又太郎なる者を挙用して藩政改革に専任させた。後津田又太郎大参事となる。 続いて、明治4年7月廃藩置県の詔命によって時の紀州藩領は和歌山、田辺、新宮の3県に旧高野寺領は五条、堺両県に分轄せられたが、同年11月和歌山県は田辺、新宮の両県を併合し、伊勢領を度合、三重の2県に大和領を五条県に分属させた。翌5年さらに五条堺2県から伊都、那賀の旧高野寺領を収めると共に南北、牟?郡を度合県の管轄に移し、もって現今の和歌山県の行政区画を形成した。 此の間、明治4年11月初代和歌山県知事(当時権令と言う)に津田正臣が官選さる。廃藩置県の実施によって第14代茂承退いて東京に移住したが、元和5年始祖南竜公頼宣が入封して以来本県を治めたのは実に250有余年の長きにおよんだ。