雑木等 を刈取らしめて其の成長を促し、私有林にても留山、留木ならざる所は伐り尽し民業絶ゆるを憂い林中協議を以て鎌止、鎌入の制を設けしめ、大抵春季発芽の頃鎌止をなし88夜若しくは210日頃に至って之を解禁せり。(農事調査書) 防風潮林の造成保護には特に力を注ぎ、之が保護を厳にせる記録法令の多きによりても知るべし。本国に於ては気候温暖適潤にして各種樹木、作物の栽培に適せるを以て藩政の頃既に一般造林の奨励の外特殊樹種特用作物の栽培に力を尽し、閑地利用に努め民業を扶植せる。其の主なるものは漆、櫨、肉柱、棕梠、椿なり。 斯の如く各種特殊産物を産出せるは歴代藩主の奨励保護に与るところ大なるを以てなり。又、藩治時代の最も重要なる生業は木材の伐採運搬販売にして、紀州藩に於ては木材業は御仕入役所の管掌にして勢州に佐八役所あり。大和に天野川役所あり、各地に出張所を設け官有林は勿論私有林をも購入し木材として伐採販売し又は木炭として販売するものあり、又仕入銀を支給し其の出せる木材及木炭を購入するもあり。 当時の木材産出の数量価格等は記録の存ずるものなきも其の巨額なりしは該役所の収入大なりしによりて推知し得べく、人民も又之を便とし最も重要なる生業とせしは安政2年水野氏村替当時の紛議に就て見るも明らかなり。

3.明治時代の林業

藩治時代に於ては領主は生殺与奪の権を以て領民に対せしかば、山林法護の法も亦厳重本国至る所斧鉞(まさかり)当て入らだる美林多く、海岸、松原、其他道路並木等もよく保護せられ木の国の名に背く所 かりき。